ほんの10数年前にWindows96が発売されて、飛躍的にPCの普及がなされたと思っていたら、あっという間に、『VISTA』だ『7』だと格段の進歩だ。
そもそも、今、皆が持っているPCだって、30年前なら大型コンピュータ並の性能のはずだ。
そんな、便利になった現代だが、得たものの代わりに、我々日本人が失ってしまったものもある。
それは『恥』であり、『恥ずかしいと思う気持ち』だ。
古来、日本人の文化に深く根付いていたものだが、まさにバブルとともに消えうせてしまったようだ。
道路端に、平然と置かれている空き瓶や空き缶。
もし、車のタイヤで弾かれて飛んでしまったら、通行人がどんな怪我を負ってしまうか分からない。
それでも、あちらこちらで見かける光景だ。「ゴミはごみ箱に!」など当然といえば当然のことなのにだ。何故、こんな風潮が広まったかというと、考えられる事は二つ。
政治家の資質低下と体罰が禁止された事だ。
政治家の資質低下の件だが、嘘を平気でつき、平然としている姿がテレビで流れてくるたび、それを見ている子供たちはこう思うはずだ。
「嘘をついたって良いんだ。だって、政治家だってやっているんだから」と。
献金問題も同じ。
「もう返したから、問題は無い」と答える政治家達。返して済むなら、万引きはありえない。
そんな事を見せ付けられていたら、子供たちは一体どうなるだろうか?
「嘘をついたって、良いんだ。だって、政治家だって嘘をついているじゃない!」と思うだろう。
親や先生が、いくら違うと言っても…。
それともうひとつは、『体罰の禁止による悪影響』だ。
初めに断っておくが、『体罰』と『暴力』が同じだとは思ってはいない。
暴力は、単に相手にダメージを与えるためだけのものだが、体罰は違う。
口で何度言っても従わない時、最終手段として行うもので、その痛みは肉体的なものより心に響くものだ。学生時代に受けた尻バットの痛さは、今も心に残っている。
確かに一部、体罰と称して暴力を振るっていた教師がいた事も事実だ。
だが、学校には先生に従順な生徒だけがいるわけじゃない。
そういう生徒達に対しては、口頭指導だけでは対処
しきれないはずだ。
結果、教室内での野放し状態が生まれるわけだ。
幼児虐待をしている親が、良く使うのが、「躾のために…」だが、そういう輩自身が体罰の経験が無いから、体罰という名を借りた暴力を行うのだ。
あらためて言う。
暴力は駄目だ!でも、体罰は必要だ!
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